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勘違いしたままいきてく

「勘違いした人間になりたくない」と思って時々自分に釘を刺しまくるような日がある。「でもさ…」と今日考えたの。自分が勘違いしてるのかどうかなんて自分じゃ本当に気づくことはできないよな~…「あいつ勘違いしてんな」って思われたくない!って思うのはフツーのことだけどでも人類全員の安全圏内に入るのは不可能なことじゃん。誰かはものすごく好きだって言ってくれるけど、別の誰かは大嫌いって言う。っていう。大体人間はそういうもんじゃん。だから”勘違いした人間にならないように気を付ける”のが大事なんじゃなくって”誰も彼もに好かれよう”ってのを諦めるしかない。諦めることを頑張る。大体さ、人の目につくところや耳に届くところで「大っ嫌い!」なんていう奴のご機嫌を100%満足させることのできる人間なんていないって。そういう人たちのために痛い思いして我慢する必要ってあるんかな?”勘違い”して”調子乗ってる”かもしれない自分に向かって釘を打ち込む必要あるんかな~?ないよな~?ないよな。まぁそれでも倫理観に逆らってはいけないと思うぜひとも生きて行くために。良心には従わないといけない。あー…でもそれって杭打って自重することと違うんだろうか?

……多分、その違いは良心か良心の近くにある場所に居るなにかが判断してくれる。と、思う。欲の欲するまま野放図極めることをそれらは許さないと思う。そうであってくれ。

……いや、多分”親身な忠告”と”嫌味”を分け隔てるのは愛だと思う。愛のないアドバイスは嫌味になる。情熱も友愛も含まない否定は罵詈雑言に類されるんだと思う。結局どんなに生き永らえても人類には愛と情熱が必要なんだよ。

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